INTERVIEW

内山 拓也(監督・脚本)

——『佐々木、イン、マイマイン』の企画が生まれた経緯を教えてください。

2017年の夏に細川と久々に再会しました。PFFで賞をいただいてから一年が経っていましたが、その頃の僕らの状況は、目に見えて好転してはいませんでした。そんな中、細川から「撮らなければいけない映画がある。これがダメなら俳優を辞めようと思う」と想いを打ち明けてもらいました。強い眼差しの彼にその真意を問うと、この作品の火種になる魅力的な人物"佐々木"について話してくれたんです。 細川は、6年ほど前から佐々木を小説にしようと試行錯誤をしていました。ただ数年経ってもなかなか形に出来ず、もがいていたんです。初めて聞く佐々木の話は、あまりにも衝撃的でした。「もし良かったら......」と遠慮気味に切り出す彼に、僕は「俺が映画化しても良いか?」と提案しました。ただ内心は、佐々木のことは、とにかく僕が映画化したいと思っていました。誰もが自分ごとに捉えられる切実さが佐々木にはたくさん詰まっていて、僕もその一人だと強く感じたので、自分の力で息を吹き込みたいと思いました。

——細川 岳さんとの脚本づくりはいかがでしたか?

一言で言えば、壮絶でした。難航する文字を見つめては何度も挫折し、くじけそうになりながらも、約2年半をかけて書き上げました。これ以上の期間をかけている自作は他にもありますが、佐々木以上に改稿を重ねる経験は初めてでした。まず細川にエピソードや種を改めて挙げてもらう事からスタートしました。僕が何度も突き返し、その回数は数え切れません。そこからキャラクターや構造に着手し、並べられるものをひたすら疑い、否定し続けました。プロットに着手するまでに約一年を要しました。

——「壮絶だった」とおっしゃっていましたが、どういった部分に苦心されましたか。

佐々木は実在する人物ですが、それを意識せず、完全にオリジナルの物語で勝負しようと決めたからです。自分が映画作りで一番時間をかけるのは脚本です。リサーチや取材にも長い時間をかけます。ただ、今回でいえば、佐々木をそのままなぞるのはやめようと決めたので、モデルとなる人物、仕事、場所など、分かりやすい取材対象がほとんどなく、手探りの状態で脚本を書かざるを得ませんでした。さらに、それぞれキャラクターの境遇や複雑な感情にフォーカスを当て続けたので、暗闇に潜り込んで、光を見つけるような感覚にも陥りました。過去と現在の時代軸があり、過去も幾つかの時間軸が存在し、複雑に絡み合っていたので、それらを整理しながら一本の道筋を構築する事にも苦労しました。大筋の土台が出来て、脚本を改稿していく作業になってからは、僕がひたすら筆を動かし、今度は細川から感想をもらい、跳ね返されながら進めていきました。今までの脚本は全て一人で 作り上げているので、共同という形に苦しむかと思いましたが、最初から細川が僕を信じて全てを任せてくれたので戸惑う事はなかったです。

——魅力的な俳優部とご一緒していかがでしたか?

ほとんどの方と『佐々木、イン、マイマイン』を通して初めてご一緒しましたが、皆さん本当に素晴らしかったです。準備段階の半年前から多くの時間を費やし、様々なことを共に経験してきました。ご飯を食べたり、お酒を飲んだり、ライブに行ったり。撮影中も、リハーサルを何度も重ねて、作品の中にしかない時間をみんなが生きてくれました。

何より、主演の藤原季節とここまでやってこれたことは、僕の人生において大きな財産になりました。時折、彼は現場で無意識に僕のように振る舞っていて。それは意識した真似事ではなく、身体が勝手に、僕のように動き出していました。彼は「もう監督の分身になっちゃった」 と笑っていましたね。一方、企画の立ち上げから一緒に歩んで来た細川岳は、時折弱音を吐くことがありますが、僕は彼のお芝居が以前から凄い事を知っていました。その事を純粋に皆さんに伝えたかった。こんな素晴らしい俳優がいるぞ、と。怪物、細川岳を是非堪能して下さい。

——ロケーション選びについてのこだわりを教えてください。

ロケーションにおいては、全てが頭の中にあります。そのイメージにこびり付いている景色 を、実際の場所と映像に結び付けるような感覚です。 作品によってその基準は様々ですが、『佐々木、イン、マイマイン』では、頭の中のイメージと徹底的に闘って、ひたすら嘘がないように努めました。 建物は良いけれど景色が違う、見た目や間取りは良いけれど導線が違う......など、イメージと 違うものは全て切り捨てて、納得するまで探し続けました。制作部には、申し訳ないほどたくさん気力を使ってもらいましたが、僕のビジョンを皆理解してくれて、思い通りのロケーションが実現しました。

——撮影中の忘れられないエピソードはありますか?

『佐々木、イン、マイマイン』のスタッフ、キャストのほとんどが同世代で構成されていま す。特に、僕と同じ 1992年生まれが多くいました。そんな同世代の仲間と切磋琢磨して一つの作品に向き合えた事が、僕にとってはかけがえのない時間でした。 撮影期間は何ブロックかに分かれていて、元旦の撮影で多くのキャストがクランクアップを迎えました。一番印象に残ったのは、遊屋慎太郎の「(現場で)ちゃんと友達が出来た」という言葉。何か救われたような感覚でした。 そんなみんなの思いを託される形で、僕と季節が残り、最後の撮影に臨みました。 オールアップの瞬間、僕もやっと同世代のみんなと“友達”になれた気がしました。

——公開劇場である新宿武蔵野館は、20歳からスタッフとして働いていた思い入れの強い場所ですね。

新宿武蔵野館は、僕の青春時代を過ごした場所であり、大人にならざるを得ない時間をも見守ってくれた特別な映画館です。 そこで、自分のデビュー作が公開されることは、形容し難い不思議な感情があり、嬉しく誇らしくもあります。 自分が良いと信じていることを「貫け」と言ってもらえたような気持ちです。 武蔵野館での日々はもちろん、今まで多くの経験や出会いがあり、積み上げてきた一つ一つのことが『佐々木、イン、マイマイン』に集約してきているんだと実感します。 そしてこの公開をひとつのターニングポイントとして、ここからまた別の扉を開き、新たな一 歩を踏み出したいと思います。

細川 岳(脚本・出演)

——なぜ内山監督と一緒に映画を作りたいと思ったのでしょうか。

僕の高校時代の“あいつ”の話を誰よりも面白がってくれた事が一番の理由です。内山とは 『ヴァニタス』を経て、よく新宿で飲むようになりました。テーブルにグラス二つとお通しが 並ぶともう何も置けないくらい狭く安い居酒屋で、僕の話を聞いた内山の目がめちゃくちゃ光っていて、「それ、俺に撮らせてくれ」と僕に言いました。それが内山と作るこの映画の始まりでした。

——数あるエピソードの中から「佐々木」のことを描いた理由は?

自分が出会った人物の中で、一番魅力的な人物であり、僕の人生において忘れることができない瞬間を、どうしても映画として昇華したかった。自分が佐々木を演じることで、あの頃“あいつ”が感じた事を想像したかったんだと思います。

——ご自身の心の中にいる“ヒーロー”佐々木を演じることにプレッシャーはありましたか。

とても怖かったです。自分が佐々木を演じるために始まった映画ですが、自分が佐々木を表現出来るか不安でした。ただ、みんなが佐々木でいることを受け入れてくれたおかげで、佐々木にのめり込んでいった記憶があります。

——藤原 季節さん、遊屋 慎太郎さん、森 優作さんとの共演はいかがでしたか。

忘れることが出来ない日々を経験させてもらいました。みんなもそうだと思うんですけど、もう“地元の友達”みたいな感覚です。すぐに連絡できるはずなのに、会う事が少し照れくさい感じ。一人ひとりとの大切なエピソードがあり、みんなでのエピソードもある。ある時、とても大事なシーンの撮影終了後に、空を見上げたら、龍みたいな雲が浮かんでいたんです。その、みんな黙って雲を見ている時間や肌に触れる温度。そういう感覚を積み重ねていく事が、 とても刺激的でした。いつになるかは分からないけど、彼らとまた映画で再会したいという気持ちが強いです。

——現場での内山監督の印象を教えてください。

「とにかく妥協しない」。布団のシワ一つとっても、延々と自分で納得いくまで直していて、 「いや、布団のシワとか、もうどうでもええやん!」と思ったりもしたんですけど、面白いからずっと黙って見ていました。彼に対して“常に先の事を考えていて、センスある人”みたい な印象を持つ人もいると思うんですけど、僕は内山が死ぬほど努力してきた姿を見てきた。言うなれば“センス努力人”だと思います。

——いよいよ劇場公開です。今の率直なお気持ちを聞かせてください。

「一発かましたろ」みたいな気持ちはないです。自分が面白いと思う事を信じてやってきて、 今確信しているのは、「この映画は面白い」ということ。誰かの目に触れる劇場公開という機会がある事をとても嬉しく思います。

——役者として映画作りに携わることで、生まれてきた想いはありますか?

今後もこういう関わり方をして、映画を作っていきたいと思っています。誰かの熱量はきっと伝染していくし、その結果が映画に反映されると信じています。

2020年11月27日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開